電験3種で独立できると思って、自由な時間と経済的余裕を夢見ていたが、もろく
も崩れ去ったのです。現実は甘くはなかった。
そして、あるファシリティマネジメントの会社にアルバイトから入って、上司から正社員を強く勧められることとなった。これが自分にとっても運命の出会いだったのです。
目次
来る日も来る日もお金のことばかり考える
会社員から個人事業になると何が一番変わるかとういうと、会社員の場合はどんなに給料が安くともタイムカードを押してそれなりに働いていれば、お金になります。一方個人事業は、自分が動かなければ1銭もお金ならないのですが、会社員とは違う大きいお金がはいったりします。
会社員はやはり使われる身ですので、ノルマや人間関係、上司との関係で大変なのですが、ある程度ガマンをしていればお金になります。でも宮仕えの苦労もよくわかっています。何しろ30年ぐらいは会社員の生活ですから。
個人事業の場合、一人親方なので、自分の采配でどうにでもなるのです。ただし、とっても自由のようですけれど、商売センスがないと業種にかかわらず難しいことなのです。自分の場合、電気管理技術者として個人事業をしていましたが、人生でも大ピンチの経験をさせてもらいました。
技術よりもお金の工面ばかり考えて仕事をしていましたね。時間は自由かもしれませんが、毎日24時間365日お金に悩むのです。
どこが自由なのか判りません。
以外と落とし穴は、人間関係も会社員のときよりも、もっと色濃く出てくるのです。ある意味同じ業種仲間はライバルなのですね。手の内や人脈は独自なのです。
ここを勘違いしますと自分のようになります。
とってもここは重要なことです。
アルバイト先で運命の出会いをして、もう一度会社員生活に戻る
そんなことで、毎日お金のことばかり考えても、行動しなければお金になりませんので、アルバイトをはじめました。ある商業施設のビル管理で、ある程度資格を生かしながら仕事ができると思ったので、すぐさま募集をみて応募し、仕事を始めました。
アルバイトも半年を過ぎたぐらいから、上司にここで働いてみないかと強く勧められて、電気管理技術者の仕事と二束わらじの仕事は意外と出来ず、仕事的には電気だけの仕事ではないが、安い給料とはいえ、毎月安定して給料がはいるのはこんなにありがたく感じたのは、個人事業をやったからなのです。
悔しさを感じながらも、自分のことばかり考えて家庭の事を思っての判断でしたが、子供が自立するまでガマンするほうを選びました。これでいいのか自問自答しましたが、やはりまず今の自分の生活・家庭を捨てるわけも行かず、会社員をまた選んだのです。
ファイシリティマネジメントを根本からやり始める
このビル管理、ファシリティマネジメントはある程度年齢と経験は必要と考えてます。なにしろ、仕事の範囲が広い。技術的なことはもちろん、宅建レベルの知識まで必要になるときがあります。
でもいま、上司に恵まれたおかげで、わけのわからないことに悩みながらも、自分なりに咀嚼しながら10年近くやらさせてもらっています。
奥深いのですが、電験3種の資格保有者と言うことで、電気主任技術者の選任となり責務をおってますけれど日々勉強させていただいています。
いろんな経験を積ませていただき、今の自分がいる
電気主任技術者の専任だけでは判らない、施設全般にわたるあれこれに迷いながらも仕事をしています。ただし、電気主任技術者としての仕事は責任のある仕事ですので、おおろそかには出来ません。
でもこうやって、毎月の給料とボーナスでなんとか生活できているということは、そしてある程度仕事でも一目おかれる立場で仕事ができることに感謝しています。
やはり、資格は重荷にもなりますが、ないよりあったほうがいいですね。
コメント
18歳で電験三種に合格(在職中)しました。入社1年ではたいした仕事はありませんでした。現場代理人の補助技術員として働いていました。仕事は現場の工程管理と施工図作成でした。管理技術者を目指したのは、自分で施工した病院に選任で勤めて、経験を積むために将来の管理技術者になるため、地元で情報をあつめました。
経験を積み管理技術者になることができました。
当初は契約事業場も少なくアルバイトで電気設備の設計の図面を書いて、年商500万を目標に頑張りました、1年で目標に達しました。
次は800万、1000万、現在は1400万ぐらいです
原口 様
私のつたないブログをお読みいただき、さらにコメントまでいただき誠に
有難うございます。
18歳で電験3種合格は大変素晴らしいですね!
そして1年で500万を稼ぎ、現在は1400万とは!
素晴らしすぎです!
私自身ももっと研鑽していきます。有難うございました。