手先の不器用な少年が、なぜ電気の技術者を目指すことになったのか

手先の不器用な少年が、なぜ電気の技術者を目指すことになったのか(その1)

電気の技術者やエンジニヤを夢見るようになったのは、やはり図書館で見たエジソンの伝記だったように思う。
多くの少年が読んだであろう、その本を自分も何回か見ていた。
しかし、自分はまわりりからみれば手先は不器用のほうだったのだ。

スポンサーリンク

学生時代

(小学生時代)手先が不器用だった少年

自分が小学生のときに、父親によく言われてきた言葉で「お前は手が不器用だな」と言われることが何度かあった。子供心にも多少傷ついていたように思う。自分でも確かにいろいろな道具を使って工作や他のことをやるにも、モタモタしていかにも不器用だったと思う。

学校の図書館に電気工作の雑誌があり、よくこれが好きでよく読んでいた。昔のことであるから、真空管のラジオ製作やトランジスタやダイオード、確かもうそのころIC(集積回路)も出始めていた。手が不器用のわりに、そういう雑誌やエジソンをはじめ有名な科学者・技術者の伝記はよく読んでいた。たぶん、相当なあこがれがあったのだと思う。

小学生の高学年の頃だろうか、IQテストではないが自分たちは何の職業に向いているか、ある程度目安となる診断テストがあった。
国語、算数、理科、社会の問題があったように思うが、結果として自分はただの”オペレーター”に向いているとの診断だった。

正直科学者や技術者へのあこがれは強かったけれど、客観的に判断されたのはそれなりにショックだったのだ。

(中学生時代)不器用なのに電気に関する技術者をぼんやり思い描く

中学生ともなると、教科がだんだん難しくなってくるが、以外や数学が結構そのときは好きな教科だった。理科も嫌いではなかったが生物、植物系が苦手でさっぱり覚えられなかったと記憶している。それでも物理系や化学系は好きだったように思う。こんなことを書いているととっても優秀な理工系を目指す学生に見えるが、好きとテストの点数や成績とは一致せず、たぶん中の下ぐらいのレベルの少年だったのだ。

しかし、中学2年ごろか、技術の教科でトランシーバーの製作キットを希望者に販売があった。そのとき、3~4人ぐらいか注文して購入した生徒に自分もいた。普通、この手の教材はクラスでも手が器用で、工作に自信のある生徒が大体購入するものだが、どちらかというと手が不器用な自分が購入したのは異例だったのである。
でもそのときは、本当に自分が作りたかった物であるから、夜遅くまで半田ごてを持ちながら、一心不乱に製作したのだ。

そんなことをして3日後ぐらいだろうか、完成して音が鳴ったときは飛び上がるほどうれしかった。でもトランシーバーって1台じゃ役に立たないじゃないか。早速学校に持っていって、手が器用で工作に自信ある生徒から、えっこんなに早く作ったの?と以外な顔をされた。

翌日その生徒も奮起したらしく完成させて学校に製作したトランシーバーを持ってきた。
二人で学校の堤防沿いでスイッチを入れて試したら、ちゃ~んと会話ができた。このとき初めて自分が作ったものが完成しているという感動と、周りの生徒からもこいつ不器用だと思ったけど以外だなという雰囲気に変わったのだ。

(高校生時代)なぜか、高校は普通科を選んでしまった

中学時代に電子工作に優越感に浸りながらも、学校の成績はそんなに芳しくなかった。本当は自分の家からは遠いけど、電気科のある高校に行きたかったが、親からも通学にお金かかるし近くの高校に行けといわれ、やむなく近くの普通科の高校を選んだ。このとき上の学校に行ければそのときでも遅くはない、電気系の学校にいければという考えに切り替えていた。

相変わらず高校でも成績は芳しくなかったが、なぜか数学はそんなに嫌いではなかった。なぜその答えになるのか、しぶとく考えるのがが好きだった。その答えの理由が判ったときは至極の喜びだった。

しかし、これが後々多少弊害になることを知ったのは、社会人になったときだった。

(専門学校時代)それでも、技術者をあきらめられず専門学校に通う

高校も卒業間近になると当然進路を決めなければならないが、親は就職して稼げ、担任の先生は自分の好きなようにしろ、と結局自分で、どうしても上の学校にいって電気・電子の勉強がしたいとの意志を貫き、新聞配達奨学金をもらい東京の専門学校に通うことになった。

田舎者の自分は、朝刊だけだと思っていた。都会の人たちは夕刊も見る習慣をもあり、朝新聞配達をして、学校に行き、帰りは夕刊配りをして、夜には集金という日々を送っていた。
当然、学校では寝て授業を受ける日も結構あった。でも自分で決めたことだから、なんとか2年、親から授業料をもらわず学校に行っていた。ちなみに新聞配達の奨学金は、新聞配達を学校卒業時までやっていれば、返済の義務はない。
苦学生ではあったが、専門学校の専攻は電気電子工学科で単位取得が出来て卒業して、5年間の実務経験があれば、「第3種電気主任技術者」別名「電験3種」が取得できる学校だった。
しかしこれが落とし穴で、実務経験ができる就職先は相当絞られていたのだ。

自分は当然授業中寝ている学生だったから、「第3種電気主任技術者」の単位は取れていなかったし、あろうことか2年学校いって卒業もせず中退をしてしまったのだ。

新聞配達の仕事はしていたので、奨学金免除はしてもらったのでこれについては助かった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする