当時まだ20代後半、電験3種2回目を受験するころと自分としては悔いの残る事がありました。普段から会社と自宅の行き来のみでほとんど蛍光灯の下での仕事ばかりでした。その反動もあってか思いっきりアウトドアのレジャー(スキーなんですけどね)に毎週顔が黒くなるくらい太陽を浴びる生活をしていたです。その時の同僚なのですが、スキーの師匠として崇めていた同僚とこちらはスキー素人の自分は毎週というくらいあちこちのゲレンデで青春を謳歌していたのでした。しかしそれもつかの間、会社から電験3種の試験を受けて電気主任技術者として選任の指示があったのです。そこまではよかったのですが...。
仕事はスポーツとは縁遠い仕事 いつも白い顔か青い顔
電験3種2回目となるその前年、会社の仕事は昼から夜中までほとんど建物の中でしたので、陽を浴びる機会が少なかった。
その反動もあってか、そんなにこの頃スポーツは得意ではなかったが、スキーにのめり込んだ時代でした。
中学や高校のときは背が低いにもかかわらず、野球やバスケットボールで汗を流していた。
勉強もそんなにできるわけでもないのに、メガネは中学時代からかけていた。コンタクトはまだ当時高級品でしたので、バスケットボール
の練習や試合ではメガネは2回くらいこわした記憶があります。
社会人になってからも、相変わらずメガネをかけて、ある意味職業病ですが、オシロスコープで波形ばかり見ていたので、本当に目が悪くなって
しまったようです。
ですので、顔がいつも白いか青い顔していたので、スポーツとは縁遠い顔していたんでしょうね。
同僚と上司含めて電験3種受験に参加
それが同僚の中に、冬季シーズンになると毎週週末はスキーにいっていつも健康そうな人と同じ仕事をしていました。そして、その同僚の人(仮
にAさんとします)が友達同士でスキーのチームを作るほど本格的なかたで、いわゆる競技スキーでしたね。当然自分も相当感化され道具も人揃え
したのでした。
時はバブリーな時代でしたので、映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットしたころでしたでしょうか。猫も杓子もゲレンデに足を運び青春
を謳歌していた時代でしたね。
死ぬほど仕事もありましたけど、その分残業・休日出勤当たりまえの時代でしたので、しかも独身でしたのでレジャーにはお金かけることができ
たんですね。
今の若い方たちからはちょっと想像できないかもしれませんが、そんな時代だったのです。
時代は明るかったし、誰もがこのバブリーはすぐダメになるなんて想像してなかったと思います。自分もその一人でしたし、バブリーに浸かって
いたのですが、こんな時代でも、会社に属せず自分で実力をつけたいと常日頃から考えていましたので、電験3種の勉強は頭からはずれていなかった
と思います。
そして、会社のステータスをあげる一つとして、親会社の力を借りず電気主任技術者も自前でできるように、何人かの同僚や上司も含めて試験を
受験せよの業務命令がくだったのです。
これは当時自分にとってチャンスでした。もくもくと独学で勉強しているより、仲間(いやライバル?)が増えるということはすごく刺激になった
のです。
直属の上司にとんでもない進言をしてしまった!
確か同僚4人と設計の部長クラスの人が1人会社から受験候補として挙がっていたのです。
その時直属の上司が、同僚Aさんに試験はどうかね?と相談されたのです。
その時の自分の回答は、「いやあAさんではまだ無理なんじゃないですかあ」というような返事をしてしまったのです!
そのあと、上司はAさんを外し同僚3人と部長の全員で4人で受験を挑戦することになったのです。
今にして思えば、なぜあんなことを言ってしまったのか。
後でよく考えると、自分はそれなりに電験3種の勉強がどれほど大変かを多少なりとも知っていたので、スキーのうまい同僚のAさんに嫉妬心が
あったんでしょうね。電験3種まで試験合格されたら自分の立つ瀬がないという、本当に小っちゃい人間だったのです。
どうして同じスタートラインで正々堂々と受験ぐらい受けさすことができなかったのか。
悔いてます。
その年見事全員が不合格
実は、その2回目の受験のときは、Aさんから受験する他の同僚にも話がいったんでしょう、他の2名も受験せず、結局部長と自分二人だけで受験
となったのです。
そして、見事二人とも不合格。
かなり勉強したつもりでしたが、あえなく撃沈。一緒に勉強しようとした他の同僚も、当然という顔でしたけどね。
でも結構自分って鈍感でしたので、ナイーブな人の感情とういものがわからなったのです。その時それに対して実は奮起したのではなかったと記憶
しています。
でも気まずい感じで仕事とをしていたし、スキーも3回目受験前にはかなり上達して、ちょっとした大会にも出場できるようにはなっていましたが
一緒にAさんとゲレンデに行くこともなく、一人でスキーの練習をしていたのでした。
やはり一人は練習は面白くないのですね。でもその頃完全にスキーに目覚めていたのですが、なぜか頭の回転や記憶力・気力が充実していた年で、
精神的には相当いい状態で、勉強に励むことができたのでした。
結果、なんとその年に3回目にして合格はしたのでした。
しかし、同僚Aさんとはその後もほとんど会話もなく、スキーもだんだん冷め始めていたのでした。なぜ、周りのことを考えて行動できなかったの
か本当に悔いています。
教訓
どんなに自分の目指すことを成し遂げても、友人・同僚の気持ちや周りのことをわからない小っちゃい人間になるな! です。
このころから、自分よがりな考え方を直すようになりました。それは、どんな仕事でも通ずるチームワークで仕事をするときに大事なことなのです。
特にこの電気関係の仕事はツーカーで分かり合える同僚が大切なんです。
コメント
私も電気主任技術者です。とてもためになる記事で参考になります。今、第二種の電気主任技術者の申請を目指しているところです。
お聞きしたいことがありましたら、また、ご連絡させていただきたく存じます。
と、全く関係ないことですが、私もブログを始めようと思いワードプレスを勉強しています。このプラグインはなんというのものですか?素晴らしい出来栄えに感心して、是非ともご教授下さい。
よろしくお願いします。
篠原さま
私のつたないブログをお読みくださり、大変感謝申し上げます!
第二種の電気主任技術者の資格取得頑張ってくださいね!!
私自身もワードプレスは詳しくありませんが、今回使っているプラグインは無料の「Simplicity2」といういたってシンプルなものを使っています。
一番魅力を感じたのは、とてもシンプルな構成で、PCにもモバイルにも対応ができるもので使い勝手はいいですし、安定していると思います。
詳しくは、Simplicity
こちらを読んでみてくださいね。もし、もっと知りたいようならまたご連絡ください。わかる限りですが、少しは教えることができると思います。